星野監督の采配と、諸事雑感

感動的な日本シリーズが終わり、改めてシリーズにおける星野監督の采配を検証してみると、以前から指摘される柔軟性の欠如、見切りが出来ないという点において共通点を見出してしまうのだが、どうなんだろうか?

良い悪いという意味でなく。

おそらく監督個人の性格に起因すると思われる星野采配のバックボーンを読み解くと、「信頼した選手」を≪トコトン≫使う事と言えるだろう。

能力が高く信頼の高い選手を使う事に関し、それは誰もが共感できる采配であると思う。

逆説的に信頼するに値しないと判断される選手起用に関して、共感はされにくく、その起用は非常に難しい。

時に我慢の采配とも言われる。

場合によると、なぜ?その選手を起用するのか?という批判にも耐えなくてはいけない。

ところで、星野監督は前述した通り、シーズン中に結果を出した選手を、「信頼した選手」を≪トコトン≫使う傾向が強いが、その使い方は調子を落としてもシリーズで使いつづける場合が多く、その采配は情の采配とも言われるのだが・・・

情だけの監督でないのは、今シリーズにおける中継ぎ陣に対する戦力外通告でもみてとれるし、北京五輪における宮本主将に対する処遇、一戦で調子が悪いと判断しベンチメンバーへ追いやったしまったことなど(結果、宮本主将の求心力がなくなってしまった)でも同じである。

選手に対する情、配慮というモノに関し、その采配は一見すると一貫していないように感じる。

北京五輪の直前(予選等で)、あれほど、宮本主将を持ち上げていた星野監督の、その非情ぶりに、当時、驚きもしたが、情という一言で片づけられない一面を星野監督が持つのは間違いない。

楽天中継ぎ投手陣に対する非情な采配と、最終戦における田中の登板。

本人が志願したとはいえ、そのコンディションの悪さは明らかだった。

スライダー、ストレートが走らず、ストライクでなくスプリットの多投でかわしたピッチング。

これで田中が打たれもしていたら、星野監督は、これまでと同様、情の監督と言われたのだろうが・・・さて?

田中劇場効果を期待しての登板だったかもしれないが、打たれる可能性も十分あったリスクのある登板である。

他に選択肢がないような状態に監督自ら追い込んだ采配ともいえる。

⇒最終回を任せられる投手がいない、則本か、美馬の完投ぐらいしか思いつかない

情だけでないのは間違いないだろう。

この相反する二つの情報を並べると、

誰彼にも、星野監督は情を示すわけでなく、その情を示すか、示さないかは、「信頼」するか、しないのか、

これ自体、誰もが、そうする自然な考えでもある。

全般的に「信頼」のない人に対して、プロアマ問わず、どこの世界でも雑な扱いを受けるのは世の習いでもある。

が、万人が、その扱いを納得できるものに思わせないと、時に痛いしっぺ返しを受けるのも世の常でもある。

その辺の機微(配慮)の違いで、損をする人もいるし、配慮を示した結果、成功する人もいる。

この人が打たれたら仕方がない、打てなくても仕方がないという人を星野監督はなかなか外さない。

例え、調子が悪くても、外さない。

その一方で、信頼しない選手に対する扱いは、非常に雑に感じてしまう時がある。

見切りが早いともいえる。

結果、北京のようにチームが空中分解してしまう時もある。

前記事、星野采配に対する疑問において積極的に触れはしなかったが(モチベーション低下という言葉で代用はしていた)、試合に出れない選手を応援のみに徹させるのは非常に難しい事が多い。

楽天ファンの方より、うちは一枚岩だぁ等のコメントもあり、故意に書かなかった。

ベンチウォーマに対する扱いに関してドイツワールドカップにおける日本代表と、南アフリカでの代表が好対照であり、どちらがより成績に直結したかは言うまでもない。

星野采配のような非情采配は、劇薬であり短期決戦の方がより影響が大きい場合もある。

ペナントと短期決戦で、その采配の中身、方向性はもちろん違うが、全員が戦う空気を作るのは、ペナント、短期関係なく、その意味で、非常にリスクの伴う采配だったと今でも、私は思っている。

実際、星野采配に対し疑問を呈した記事に対し、その書かれたコメント群に対して不愉快に感じた人(感じたとコメントをいただいた)がいたのは、イコール楽天中継ぎ投手陣も、そう感じただろうとういう事を、特に楽天ファンに対し伝えておきたいと思う。

彼らの(中継ぎ投手陣)のシリーズにおける疎外感を鑑みると、気の毒の一言だ。

彼らがその実力故に、星野監督に、ファンに信頼されなかったとはいえ、いない、もしくわ、いないでいてくれと言われた時(必要ない)、人はどう思うのだろう。

気持ちよく応援できるような配慮がなかったが故に、ドイツの代表は空中分解し、南アフリカの代表には、その配慮があったが故に、一体感をもって戦う事が出来ていた。

Numberで中継ぎ投手陣の気持ちに関する記事を個人的に期待していたのだが、

残念ながら、楽天野手陣、結束Vの全内幕 であった。

なぜ?楽天、結束Vにならなかったのか・・・

そこは残念でもある。(厳しい現実を感じる)

●●(今回の場合で言うと外されて当然、もしくわプロだから当然等々)されて当然、して当然という意識で、接し過ぎると対人関係はギスギスし易いが、そこに対して一定の配慮が欠けると、組織は分解し易く、その帰結として、一体感が失われやすい。

楽天の場合、長期にわたって星野監督が指揮してきた事で、北京のような状態になる、その心配がなかった、もしくわ、誰かが中継ぎ投手陣の気持ちをケアしていたのかもしれないが、ベンチウォーマーを作るとき、その結果、起きうる空気醸成に対し非常に気をつけなくてはいけないのが、今のスポーツ界(スポーツだけないが)の潮流であり、その意味で、中継ぎ投手陣に対し、どのようなケアが行われたか、正直、興味がある。

ケアがなかったとしても葛藤があったのは間違いなく、その葛藤(誰もがもちうる感情)に対し、どう乗り越えたのか、知りたい所である。

成果主義でない違った趣向のモチベーション3.0というのが新しい組織論になりつつあるが、さて・・・・

星野采配を基軸にいろいろ感じた日本シリーズでもあった。

星野監督の悪口でけに聞こえるかもしれないので、補足。

氏のペナントにおける戦い方、チーム戦略、チーム編成等における力量は日本のプロスポーツにおいて非常に優れた方だと思っています。

際立っていると言っても過言でありません。

Jリーグにおける神戸の迷走等(三木谷会長の現場介入、プレッシャーはサッカー、野球問わず、なかなかのレベルです)をみると、同じ親会社とは思えませんが、今回の楽天の優勝、星野監督個人の力量が非常に大きかったと感じています。

特に三木谷会長を説得して、A・ジョーンズ、マギーを連れてきたのは流石と思います。

回りを、その気にさせ、回りを味方につける。

優勝する為の環境整備を3つの異なる性格をもった球団で成し遂げたのは凄いの一言です。

星野監督の性格、言動等を読み解くと、気をつかう方のような気がします。

が、短期決戦における機微において(気を使う人だから知っていてやっていると思います)、時に選手の尊厳を傷つけかねない非情采配をします。

その割に非情になりきれない面もあり、その采配を考えると、面白いなとは思っています。

人とは、そういうモノと思っています。一言で言い表せられないです。

基本、ありゃ?って采配(リスクのある采配)をする場合(スモールベースボールを標榜しつつ打撃重視の布陣を敷いたりした事などなど)、北京もそうでしたが、信頼するスタッフの進言(中継ぎ戦力外もスタッフによる進言の可能性が高いかもしれません)によるものが多いらしく、その面でも、情の人なんだと考えています。