ヤクルト、横浜と来て、中日の2013年、総括と展望です。
前記事でさらっと書きすぎたのか、落合監督を意識した方が多く、記事趣旨を明確にしたいと思います。
(書いてはいるのですが、より明確にしたいと思います。)
落合監督の就任期間は2004年2011年。
実績上、落合監督は素晴らしい監督だったと思いますが、中日の黄金期は何も落合監督だけで築かれたわけでなく、実際、落合監督退任後の2012年も中日は2位に入っています。
そして、何より2012年も中日の特徴とも言える、驚異的な内弁慶は継続しています。
何が言いたいかと言いますと、
監督如何に関わらず、ホーム名古屋で強く、ビジターで弱い(五分ないし負け越しています)が継続していたという事を強調しておきたいです。
'が、これが2013年、ホームで大幅負け越しを喫し、ビジターで五分という、従来と違う結果になっています。
'
表題が11年連続Aクラスの記録が途絶えた理由、Bクラス転落ですので、当たり前ですが監督が主因だとは思っていません。
監督の采配も一因になったかもしれませんが、他にもあると考えるのが妥当です。
2012年と2013年を比較して書いていたのは、そういった理由、背景があります。
監督を起因とするなら、2011年と2012年を起点として分析記事を起こしていますので、そこを了解した上で読み進めて頂ければ幸いです。
仕切り直しを兼ねて、書き直します。
ご存じの方も多いと思いますが、中日の11年連続Aクラス(20022012)の記録が途切れています。
尚、当該期間中に中日は4回セ・リーグを制し、日本シリーズにも5回進出しています。
2002年2012年の当該期間中変わらず、中日の主力選手として遇された選手は誰かと言いますと・・・
谷繁・井端・荒木です。
アライバコンビ自体は2001年からですので、アライバ=中日Aクラスの十分条件とは思いませんが、必要条件の一つだったとは思います。
アライバの二遊間は一時代を築いたと思っています。
RF評価上、上手な選手が隣り合うと互いにアウトの取り合いになってしまので、アライバの個々のRF評価、歴代No.1ではありません。
が、それでも素晴らしい成績を残したと思っています。
(RFの改良版である、RRFでみて欲しいのですが、今の所、レンジ系評価と言いますと、RFが主流になっています。)
前記事の序論として、中日が強かった理由に、
中日のホーム成績での強さを挙げていました。
落合監督が就任した2004以降2012の間で中日のホーム成績は383勝210敗 勝率.646
(ヴィジター成績は5割を切っています)
当該期間中で一番勝率が悪かった時期でも勝率.600近くでしたので、安定してホームで勝ち続けています。
でわ、いつからホームで強かったかと言いますと、落合監督就任の2004年(42勝20敗)以降でして、それ以前は
2002年が20勝33敗
2003年が25勝29敗
と負け越しています。
尚、2002、2003年はAクラス入りしてまして、ホームでの負け越し分の17をビジターで、それ以上にカバーしていたわけです。
落合以前、以降では中日野球の質が違っていた事を示す数字的事実、事例の一つと思っています。
アライバが主力となって二遊間を形成し始めたのが2001年。
谷繁加入が2002年という事を考えますと、落合監督が果たした役割も大きかったと考えます。
そうは言っても、如何に優秀な監督としても、それを実行できる優秀な選手がいませんと、ホーム成績.645等と言う、球史に残ると言っても良いような成績は不可能だったと思います。
横浜の黄金時代の終末期に森監督が就任しましたが、谷繁を軽視し、FA移籍した瞬間から横浜の長期低落傾向が始まっています。
森監督自体、西武の実績をみますと、大変、優秀な監督であったとは思いますが、それを支える選手が居て初めて可能になるのだと思います。
優先順位で言いますと、まず選手ありきで、その後、その選手に合わせた作戦になります。
名古屋の地理を活かした戦術、守り勝つ野球を落合監督は採用し、それを実現できたのは、
名古屋球場の特性。
パークファクターが東京ドームとの比較で1/2以下という地の理を活かした野球。
それを活かせる
強力投手陣
その強力な投手をさらに強化できる優秀な捕手
そして、アライバを象徴とする優秀な二遊間と守備陣。
最後に守り勝つ野球としてのスモールベースボール。
その結果としての、驚異的なホームアドバンテージだと思います。
、、が健在なら、多少、野球が変わっても可能だったと思います。
というより、一番大きいのは、、であって、それが実現できていれば、監督の戦術は関係しないのかもしれません。
確かに同じ低反発の統一球時代で、犠打数が2011年の164→2012年は120と監督の交代により減ってはいますが、
犠打が多いから勝てるわけでなく、落合監督時代に培われた、、が健在であったのが大きいと私は思います。
そもそも、アライバの場合、犠打が出来なくてもランナーを進める事の出来るバッティングが出来ますので、わざわざ相手にアウトを与えるような戦術が有効であったか、どうか・・・
(データ上、ノーアウトランナー、一塁と、ワンナウト、ランナー二塁でどちらが得点が増えるかと言うと、ノーアウトランナー一塁のより得点期待が大きいです。
MLBも1970年代までは犠打が多かったと記憶していますが、シチュエーションを考えた犠打が多くなってきています。
プラス、2012年には犠打率自体が、80%を切っており、正直、犠打を試みる価値があったか疑わしいぐらいに思っています。)
だから、監督交代のあった2012年も変わらず、ホームで強かったと考えています。
ここで着目すべきは監督の戦術以上に名古屋での勝敗に影響を与えただろうモノがあるのではないかという事です。
要は、、の何にかに変質があったと考えるのが自然であって、
そこは怪我人が多かった
、だったと思います。
特に深刻なのがでして、は未だ怪我人が・・・っとエクスキューズ出来ますが、に関しては、2013年というより、徐々に顕在化してきた問題が表面化しただけですので、挽回が難しいと思っています。
球史に残るアライバという二遊間でしたが、その衰えを何処でみるかと言うなら、荒木が2009年、井端が2007年だと思います。
この年を境に両選手の盗塁数と、その質である成功率が下がっていっています。
また、この年を境に、鳥谷の守備が井端を上回ったのでは?とセイバー系を重視する方々が、主張し始めますが、怪我や加齢の影響か、守備範囲が徐々に低下していっています。
二遊間は、その特性から瞬発力が求められる守備であり、それ故、衰えも早いのですが、その衰えを技術と経験で補い続け、ついに表面化してしまったのが、2013年だと思います。
井端は巨人に流出し、荒木もさらに、その守備範囲を狭めそうですが、それ故に、直ぐにV字回復するような状況でないと考えています。
(スローイングに問題のある荒木はサードコンバート等が難しく、選手生活最晩年と思います。というより、36歳を超えて尚、守備で評価され続ける事、自体が凄いと言わせて下さい。レジェンドだと思います。)
'一つの時代の終焉を感じます。
同時に再生の時だと思います。
2013年の総括ですが、基本、アライバの成績、影響を中心に考察しつつ、展望につなげたいと思っています。
(データ上の解説が主体になりますので、こんなに影響があったのかとでも思って下さい、記事趣旨的には、この記事でホボ書き尽くしています。)
尚、高木監督に関しての雑感は
http://blog.livedoor.jp/nijiya/archives/3560036.html
に書かれている内容に近いものをもっており、文字通り高木監督は火中の栗を拾ったと思います。
また、落合監督の育成、云々に関しては
http://blog.livedoor.jp/nijiya/archives/3562086.html
これは、高木監督にも当てはまり、世代交代が高木監督のミッションだったとは思いますが、2012年は、2011年と変わらないメンバーを起用し続けています。
井端、荒木が物理的に出場できなくなった事で、高木監督も二遊間を試す事が出来ましたが、荒木(87試合)の代りに出場した二塁手が森野(50試合位)であった事を考えると、なんとも言えず・・・
また、遊撃も最多90試合先発の井端を先頭に堂上が34・・・
なかなか苦労しそうです。
そして、最終的には、谷繁さん。
まさに世代交代、待ったなしです。
それ故、落合GMと谷繁監督には時間を与えて欲しいと私は思っています。
過度な期待ができない状況にあります。
でも、妙な期待感を覚えてしまうのも、不思議な感じです。
どのような経過をたどって、中日が世代交代を進めるのか、非常に楽しみでもあります。