憤りを感じた横浜今季、最終戦 情けない、悔しい、彼らと伴にいる自分を、とても恥ずかしく感じた試合

ニコ生で三浦の引退試合を観戦しました。

7回の粋な番長の続投には泣いちゃいました。

雄平が察してくれたような三振で三浦の長く仕合せな現役を終わりを告げました。

宮崎他、涙目で選手達が試合をしていましたが、あのような試合を通じ、選手個々が、チームへの誇りを、そして、愛着(ファンとの絆)が育まれていくものと思っています。

心ないファンの罵声によりストレスを溜め続け、終には脱毛症になった山口が今季終了後にも横浜に残ってくれるのなら、三浦の果たした役割大きいかもしれません。

やりがいは大事です。

給与を大きく削減されてまで、やりがいを求め新井は阪神を出ました。(チーム事情上が関係します)

人とは、そう言う一面をもっています。

結果は大事ですが、

結果以外にも大事なモノがあります。

それは積み重ねたモノへの重み。

結果ではない、過程への敬意。

大切な何かへの配慮。

気持ち。

そう言った様々な温かい気持ちの積み重ねにより、

チームに、関係者に、ファンに、誇りをもたらしてくれます。

勝率5割より大事なモノ。

一選手への過剰とも言える配慮(そう見える場合もあると思いますが、25年間とは、そういう重みをもったモノと思っています)。

その配慮に番長は涙し、

最高のプロ野球人生だったと、応えてくれたわけです。

そのコトバに感動を覚えました。

あまりにキツかった暗黒時代。

当時所属していた選手達が発した証言を想うと、三浦が過ごした環境は恵まれたモノでなかったと思います。

そんな不遇とも言える環境の中、応援してくれるファンの為にマウンドに立ち続けてくれた三浦投手の想いを、気持ちを私は決して忘れません。

ありがとう三浦。

感謝しかありません。

そして、

私は、これまでにない強い憤りを覚えました。

耳をふさぐことも出来ましたが、今回は、あえてみました。

罵声の飛ぶなか、その増悪を一身に高城が受けていました。

同じ横浜を応援するモノとして、本当に、本当に残念でした。

打撃に関しては批判されても仕方がないです。

ですが、配球は・・・

外がぁ、外がぁ、他、嫌悪感を覚える罵声の嵐。

同じ横浜ファンとして席を同じくしたくない気分でした。

外は配球の基本ですし、三浦を上手くリードしていたように感じるのですが(6回1/3 8奪三振の苦心の投球。バッテリーで良く頑張ったと思える配球に感じたのですが・・・球威がないので簡単に外野にもっていかれる状態でした。)、彼ら的には、そう感じず、高城に、その責任が大きく感じていたようです。

結果、戸柱に変えろでした。

他、書くことも憚れる罵詈雑言。

引退試合の感傷的な気分がいっぺんに吹き飛んでしまいました。

あまりに度が越していたので、

同じ価値観を共有したくない(彼らと共通の目的を抱きたくない)と思い始めた自分がいます。

恥ずかしい。

情けない。

悔しい。

高城が戸柱の成長に果たした役割は大きいのですが(経験者として情報の共有をしている)、

“支え合い”のライバル関係 DeNA高城俊人の複雑な立ち位置

チームとして戸柱、高城をみて欲しいです。

欲しいですが、彼らにとって高城はチーム成績を悪化させる、邪魔者でしかないようです。

早く追いだせって言ってましたしね。

本当にがっかりしました。

高城を批判し過ぎると、戸柱と高城の関係が崩壊するのかもしれません。

結果、どうなるかは自明の利なのですが、そう思ってくれないですよね。

プロ野球では珍しい関係性を戸柱と高城は築いています。

その結果、チームとして成績が上がっているのですが、そう見てくれない。

残念です。

そして、高城への過剰なまでの批判。

本当に悔しいです。

気持ち悪い感情の積み重ねは、チームへの忠誠心を奪います。

嫌悪感しか覚えませんでした。

高城に対する批判の根底は、

配球万能論。

采配万能論に通じると思っています。

何事にも限界がありますが、負けに不思議なしというコトバと伴に独り歩きしている部分を覚えます。

最終的には結果至上主義にも通じます。

本来なら三浦の事のみを書きたかったのですが、

こういう記事を書くに至った想い。

横浜への想いが醒めたような、今季、横浜最終戦でした。

悔しくて、なかなか寝付けませんでした。

本来なら、想いを新たになハズなのですが、そういう気分になれない自分がいます。

夢のような結末と、

苦い、苦い試合。

本当に、記憶に残る試合でした。