倉本の守備範囲が狭い。。。というのは数字上事実です。
桑原の出塁率が一番打者としても物足りないのも事実です。小技も数字上、良くないのも事実。
高城の打撃が、戸柱、嶺井との比較で劣るのも数字上事実です。
クララや、桑原、高城らを批判する声を聞きますが、采配論や、配球論と違い、大前提で、彼らプロは私達、素人より打撃や守備、小技が上手いという、実に当たり前に認識の基、その批判が行われてます。
あくまでプロの試合と言う、非常にレベルの高い世界での優劣であって、その判断は、あくまで相対関係です。
批判しつつも、こえられない壁。
私達より技術的に優れているという認識の基、批判されます。(相対関係での批判)
一方、監督采配、配球論は、どうなんでしょ?
相対関係で批判されず、こちらは自分たち目線で批判され易いです。
私なら○○した。
どうして、そうしない。
しない高城(もしくは監督)は自分にも劣る。
チームが敗けたのは、そんな素人にも劣る配球(采配)をする高城(監督)に原因がある。
クララや、桑原らの批判と違い、より厳しくなる印象があります。
野球の醍醐味と言えば、それまでなのですが、自分なら、こうしたで見れてしまう結果、先鋭化しやすいです。
ところで、
どうして、高城は、あんな配球をしたのでしょ?
プロで6年目の24歳。
年長者の黒羽根や、嶺井らとの競争に打ち勝ち、第二捕手としての立場を確保し続けていますが(途中、何度も場を剥奪されています)、そんな高城が、素人考えにも劣る配球をしたわけです。
そこにwhy?があります。
つい、感情的に、とある記事で返してしまいましたが(申し訳ありません)、
昨夜のような濱口ですと、また、打たれます。
こうすれば、抑えられたと明確に書けると良いのですが、書けないです。
配球根拠となる濱口側の事情を主にして記事続きます。