高城が二軍に落ちてがっかりしている管理人です。
彼の配球が楽しみで野球観戦している部分もアリ、その楽しみの半分がなくなるような感じですかね。
なにより成長期の選手(高城24歳です)を一軍の場でみれる喜びに勝るものなく楽しみだったのですが・・・
どうしてくれるんだぁーーー
は管理人個人の都合です。
ところで佐野を第三捕手扱いする事で思いだした選手がいます。
元横浜の選手で現阪神の選手である山崎憲晴です。
おかれた立場、起用方法も変わりますが同じく第三捕手化する事で出場機会を失った憲晴の事を思いだしてしまっています。
前年の正遊撃手で飛躍を期待された憲晴、当時28歳。
まさかの第三捕手でした。
ラミレスなら、こんな起用はしないと思いますが(序列変更の手順を踏みます)中畑さん厳しかったですね。
経験もなく新人だらけになった当時の横浜の内野守備。
失策は減りました。
が、一番肝心なチームDER(打球のアウト率)が激減してしまいました。
崩壊です。
あの影響は大きかったですね。
2015年の横浜のゴロ率は12球団5位。
リーグ3位の48.6%でしたがDER(処理率)は12球団最悪の68.1%。
ゴロで打ち取ってもアウトになりませんでした。
チームUZRはー50(前年-14.5 グリエルやブランコが守っていたのにです)。
一塁守備に定評があり捕球能力も確かなロペスが加入して、あんな数字になるとはっと愕然としたのを覚えています。
あっ、これダメかもしれないと首位を走る当時危惧していましたが結局、そうなっちゃいましたね。
中畑さん時代、選手を固定できませんでした。
毎年違う選手が二遊間(だけではないですが)を守り続けてしまいました。
毎年、0スタートです。
チームに経験が残らず厳しかったです。
監督が言う、
「一年を戦う体力がなかった」→初めてだから
「優勝チームと違い経験がなかった」→初めてなので仕方ありません
と総括していた2014年。
同じ事を繰り返して臨んだ横浜の2015年は最下位でシーズンを終えることになっています。
前半戦首位のチームで最下位になった初めてのチームと記憶しています。
監督を始め選手達の悔しそうな顔を覚えています。
昔は、あんなに悔しそうな顔してなかった記憶もありますが良いチームになりました。
一方、
第三捕手となった事で途中出場すらままならなずなった憲晴は5月(確か)に中畑さんにゴメンと言われて二軍に落ちています。
そんな憲晴に中畑さんがかけたコトバ。
あの時、あのコトバにより救われた気持ちになった事も合わせて思いだしてしまいました。
中畑さん、今までの反省もあってか憲晴には様々、便宜を図ってくれています。
昨年の正遊撃手は、若手の台頭により今季は3試合の途中出場のみ。「おまえのおかげでチームが回っている。悔しさを押し殺してベンチで一番声を出している姿に感謝している」。山崎憲はこの日も出番はなかったが「監督の気持ちがうれしかった。このチームで勝ちたい」とベンチの最前列で声を張り上げた。
昔は、そんな配慮をしなかったのです。
が、監督続けている間にイロイロ気を使ってくれるようになって来ていました。
実績上勝てる監督ではありませんでした。
それでも今につながる横浜の基礎が中畑さん時代に形作られています。
思うに中畑さん巨人の選手だったと考えています。
一切の甘いなく自覚をもって奪い返せ。
場は与えられるモノでなく監督である俺にアピールして奪い返せ。
(その割に新人には簡単に場を与えちゃう監督でした)
コトバが足りない事で様々な人の心を惑わせチームを揺らし続けました。
厳しい監督でした。
ですが、その厳しさの裏に情も深かかったです。
叱咤激励。
乗り越えろ、ガンバレです。
前年の遊撃手が試合にすら出れず心折れながらベンチで声を出し続けエールを送り続けた憲晴。
その姿にチームもまとまっています。
9月の試合。
最下位も決まった試合で勝った試合。(サヨナラか何かで勝ったのかなぁ)
中畑さんと憲晴がベンチで抱き合う姿をみて涙が止まらなかったのも思いだしました。
この記事書いているだけで、目頭が熱くなってきます。
この一節を読み返すだけで私ダメですね。
佐野の事を書こうと思ったら中畑さんと憲晴を思いだしました。
中畑さん時代、ドラマのような展開が多かったです。
アツいチームでした。
2015年の、あの最下位のチームが中畑さんの率いたチームで一番チームらしかったと思っています。