戸柱の事を書いたので、もう少し捕手について、
本当は、白崎と、佐野の打撃の事でも書こうと思ったのですが、また、別の機会に。
後日、昨年の戸柱について回顧記事を書くと伴に、その現在位置を自分なりに記事化したいですが(時間があれば)、
温故知新。
過去を知ることで、今がわかり、その先を予測できます。
歴史とは継続です。
断続ではないです。
今を語るには過去を知ると、深みが増し、今を知ることで未来を予測し易くなります。
故に、外交安全保障関係者の方は、歴史が好きな方が多いですが(大局観、流れのようなモノが見えるらしいです)、仕事柄ですかね。
細い糸のようなモノが見えるような錯覚があります。(現在の因果のようなモノ)
司馬遼太郎さんとか、そんな感覚の時代小説を書くのが得意でしたが、
なぜ?日本が敗けたかと言うと、その糸は日露戦争(日露戦争を語ろうとすると日清戦争。日清戦争を語ろうとすると朝鮮情勢。朝鮮情勢を語ろうとすると明治維新。。。以下、同文、きりがないです)における日本の勝利に辿りつきます。
ここから、日本は徐々に狂っていくのですが、
流石に野球は、そこまで大河ではなく、50年なので、そこまで過去に戻らなくても良いかもですね。
それでも、今を知る上で、過去を知るのは重要と思っています。(温故知新)
今回、過去を知る必要はないので、次回書くための記事の前振りです。
全くの余談ですが、何となく書いてしまいました。
まさに雑感です。
さて、配球です。
野村元ヤクルト監督の影響もあり、日本では配球万能論が蔓延っている感触があります。
ですが、
実際の所、そのほとんどは、投手で決まります。
どんなに良い捕手でも、リードする投手次第です。
競馬では、馬85、騎手5、厩舎10とも言われていますが、そのほとんどは馬(投手)です。
今日、暴れ馬のクラインが登板する予定ですが、
捕手が関与できる要素は、野村元監督が言うほど、大きくはないです。
野村さんも、分かっていて発言していると思いますが、
過大に評価し過ぎている感じがあります。
従って、
昨日の石田の苦境の大部分は石田に問題があります。
ですが、そこに知恵の存在。
配球。
悪いなりにベストを尽くす。
経験と知恵の結晶。
駆け引き。
ヤクルト中村と戸柱が対照的な配球をしていましたが、
目線を上にあげるストレート(高め)を投げた後、定石は変化球です。
残像を利用するわけですが、
これを中村しませんでした。
意識させて、あえてストレートで仕留めていましたが、ノイズ(定石を時折、外す)を、その配球に入れて来ます。
一方、戸柱の場合、そう言ったケースは、ほとんどありません。
定石を辿ります。
勿論、相手次第ですので、
ノイズを入れるのが常に正解ではないのですが、
あっと思う瞬間が、ヤクルトの中村から感じ(高城も時折感じるのですが、実戦少ないので徐々に鈍って来ている感触もあります)ます。
今の戸柱は、その一歩手前の状態でしょうか?
戸柱も新人の頃を想うと(過去を知る)、順調な成長を遂げているのですが、そう言うモノですかね。
ただ、ここで強調しておきたいのは、
配球には限界がある事です。
主体は、あくまで投手です。
戸柱の事を、悪く言い過ぎた感覚もあり記事化しておきます。
経験を経る事で人は成長します。
その成長が止まるようなら、そこが、その選手の限界点なのですが、
戸柱、頑張っています。
期待してあげてください。
尚、捕手の配球を語るのは、野球ファンの醍醐味みたいなものです。
自分なら、こうするは、プロ野球監督采配と並んで、最大の楽しみの一つです。
守備や、打撃は技術論がありますので、
限界がありますが、
監督采配と、配球は、
自分なら、こうするが主張しやすいです。
どうして、そうしない。
だから、負けたは、プロ野球ファン最大の楽しみとも言え(当然、その逆もあります)、醍醐味です。
どうして、そうしないについて、ラミレス監督は、非常に分かり難い監督ですが、
皆さん、過度に監督、捕手を批判しない程度に、野球談議に華を咲かせて欲しく思っています。
これも野球ですなぁ。