ラミレス批判の定型文で以下のような文言があります。
この場面、盗塁させないのは馬鹿である。
次の回に投手を交代させるのに代打を出さないラミレスは野球を知らない。
この打順の組み方は・・・(3番ロペスや7番梶谷、9番倉本の使い方など様々)
以下、同文。
なぜ?彼らが憤っているかと言えば〇〇して当然と思っているからです。
問題は、どうして素人である彼らが考える当然をプロであるチームが選ばなかったか?です。
そこには理由があるわけですが激しくラミレス批判をする人たちの多くは思いを寄せてくれません。
あのカナロコ記事も、そうでした。
どうして?がなく一部だけ切り取り悪意をもって書き立てていました。
ファンが感じる?采配には動機があります。
その動機を考えることで現状が見えてきます。
推理小説では犯人の動機は重要です。
その動機がある事でより楽しめるのですが、その動機なき采配批判は非常に底が浅くなります。
左打者に引っ張りを強要(指示)するのは理由があります。
左打者の引っ張りは進塁打指示なんですが、それをわざわざ言い換えて表記する所にカナロコの品位のなさを覚えます。
それを受け入れるファンにも文句を言いたいのですが・・・
あの反応は本当にショックでした。
これら批判の根底にあるのはラミレスへの不信が原因とみています。
そして彼らの多くがもっと勝てるはずだと思っている事。
○○できて当然。
バントできて当然。
チームバッティングできて当然。
打てないなりの何かを出来て当然。
一回を投げ切れて当然。
インコースを使って当然。
もっと勝てて当然。
Aクラスに入れて当然。
そして優勝出来て当然。
出来ないラミレスは批判されて当然。
「できて当たり前」という精神的暴力 - スポンサー広告白色の自己主張
より引用ですが、
見守るようにしている。
見守る。
親子のような情愛で見守って欲しいです。
わが子の拙さを批判しつつも見守(期待ともでも言うでしょうか?)って欲しいのですが、
一部横浜ファンのラミレスへの感情にはヘイトしか覚えないです。
これは倉本や移籍した高城らにも言えますが・・・
引用記事からですが
「できて当たり前」
それは
自分の能力を過信し
相手を見下すだけの
精神的暴力でしかない。(私談:この精神的暴力に参る横浜の選手多いですかね。)
っと筆者は、その時の体験を語っています。
どうして出来ないのか?しないのか?に思いを寄せて欲しいです。
当然で野球を語り始めた時、批判は憎悪と変わり易いです。
チーム批判、選手批判が厳しくなる印象があります。
カナロコの記事もあり今年のチームへの批評は厳しそうな感触を覚える今日この頃です。
優勝するに相応しいチームにはいくつか諸条件あるのですが、その条件を横浜が揃えているかというと微妙です。
その微妙をラミレスは埋めちゃうかもですが諸条件をクリアできてない=弱いというのを忘れないで貰いたいです。
諸条件に関しては次、記事化します。
光山コーチ離脱の影響も記事化したかったですが。
高城離脱なみに捕手インテリジェンスに影響する可能性があるとみています。