「JAPANESE ONLY」という言葉自体に罪はない についての雑感
セルジオ・越後さんが「JAPANESE ONLY」という言葉自体に罪はないと、コラムで表現していたが、
?である。
まず、最初に英語で表現する以上、その英語がもたらす、意味合いを意識する必要があるが、どうなんだろうか?
同様なコトバで英語では
「WHITE ONLY」(類似でBLACK ONNLY 他多数)
があるが、
その用法とは、バリバリ差別用語である。
これら差別用語を撤廃させるために、関係者たちが汗を流し、血を流し、命をかけて撤廃させた歴史的経緯に対し、無頓着に英語を使用し、日本人の感覚で、解釈で
JAPANESE ONLYとは、こう言う意味だぁ
っと主張する事が、他者に受け入れられるとでも思っているのだろうか?
英語を使う以上、その英語が、どう思われ、使われているのか注意を払うべきである。
日本語で表現しろだぁ。
次、
>スペインのアスレティック・ビルバオはバスク人だけで構成されているチームだけど、彼らが「オレたちはバスク人だけ!」と主張したところで、何も差別ではないよね。
もし、それを浦和が主張するのだったら、浦和が、そういうポリシーでやるという事を、内外に表明する必要があると感じるが、
現状の浦和は、外国人の監督がいて、外国人の選手がいて・・・
外国人のサポがいて・・・
はぁ?
ジュビロ磐田の黄金期。
日本人選手が多かったが、そこに至る過程には多くの外国人選手、監督、スタッフが関わって達成できている。
鹿島もそうだ。
ジーコが関わらなければ、もっと誇りをもてるチームになったでも言いたいのだろうか?
おらがチームで構成するチームは多々ある。
地元の選手を優先的に契約するのは、野球、J限らずあるが、こうなんというか、それって強いチームになれるのだろうか?
○○だけという制限をかけるようなコトバの持つ強さにヘキヘキする。
弱くても、地元住民だけ構成されたチームというのも、個人的には好きだし、ありと思う。
が、様々な利害関係者を抱え、弱くても構わないという合意の基、興業が成り立つかにはかなりのリスクがあるだろう。
(相撲も日本人だけやればいいんじゃないのか?
興業的にはアリだよね。客が入れば)
多くは強くて、日本人だけでになると思う。
で、それって可能なんだろうか?
日本のサッカーの急速な発展に多くの外国人が寄与したのは周知の事実だ。
弱くても構わないっと、そのポリシー(強い日本人選手を育成、育て戦う、その過程も含め全員、日本人だけ)を貫きとおすチームがあっても良いと思うが、
さて・・・誰か作れば、良いんじゃないの?
その情熱自体に罪はない。
(支持されるのかわからんが)
まぁ、あまり好きじゃないけどね。
どうみても、選手強化にマイナスだから。
ただ、その逆境に敢てチャレンジして跳ね返すチームがあっても良いとは思う。
私個人は、代表があるので、それで十分と思う。
もし、バスクのようなチームを作りたいのなら、
代表で構成されたクラブチームを作り、クラブのクオリティーで世界と戦うを標榜してくれた方が、
すんなり、あっ、良いんじゃないっと感じるが。
因みに鹿島のサポはジーコが居た事で、誇りに感じている面もあると思う。
浦和サポ的にワシントンの涙も。
阪神のバースも。
セレッソにフォルランが来てくれた事で、マスコミにも注目を浴びた。
ちょっと、この辺は上手く自分で書いてまとまってないかもしれない。
っと素直に、その心境を吐露しておきます。
日本人だけ構成されたとしても、その条件は世界に通じるか、世界に通じなくても良いかでニュアンスが大分、変わってくると感じる。
少年野球チーム等で、町内住民だけと区切りをつけるが、まぁ、そう言うレギュレーション。
これは間違いなく、強さ以外の価値観を求め、それに関わる方々が、それを良いとしているからだろう。
これが、その国のトップリーグで成り立つかはわからない。
バスクのようなチームが少ないからだ。
時代の変遷とともに、○○だけでなく、その強さも求められるようになってきている。
バスクが畏敬の目で見られるのは、他が出来なかった事をしているからと思う。(強さがある)
相撲が質の向上を求め外国人に門戸を開いたが、それを閉じた時、果たしてファンは、どう思うのだろう?
門戸を開きつつ、競争しても負けない日本人を育成してくれが、今の潮流と思う。
が、一方で、その潮流に逆らうような存在。
しかも、強さを体現できた時。
それは、それで、素直に凄いと思う。
その難しさを思うと、その難しさを補う、何を感じずにはいられない。
その想いの強さに何かを感じる。