整合性を感じない采配についての雑感

7/14 対広島戦、結果は5対5。

すんなり勝てたと感じた試合展開だったがどうなんだろうか?

相手ピッチャーが苦しんでいるのに、それを助けるような犠打をしたと感じたが、

http://number.bunshun.jp/articles/-/821040

各チームの主戦捕手が、犠打、楽ー♪っと喜んでいるが、そんな犠打を横浜してしまったと感じる。

ベイが勝てなかった第一の理由は調子の良くない大瀬良を攻略できなかった事にある。

アウトを相手に献上する重み、意味合いをもう少し、理解して欲しい。

終盤、ソトが居るにも関わらず、温存し、藤江を起用していたように、中継ぎを使いたくないのら、なおさら、調子の悪い大瀬良からビックイニングを狙うべきであったはずであるし、それの方がより目的に合致しているハズだ。

が、選択はリスクを負って一点を奪いにいく犠打。

そも、ボールが荒れ気味で疲弊気味だった山口を続投させたのも、中継ぎを温存したからだっただろう。

なら、なおさら、強攻すべきだったと思うのだが、整合性の感じない采配である。

大本を探ると、7/13日 ヤクルト戦、6対1、5点差リードで、先発の三浦を5回で替え、継投に入ったのが響いているのだが・・・

もう、そろそろ何も考えない(意識を感じない)盗塁、犠打から卒業しても良い時だと思うのだが、なぜ?犠打が必要なのか、どういう時に必要なのか、なぜ?なぜ?5回でもして考えて欲しい。

相手が嫌がる野球をして欲しい、そう願わずにいられない。

そして、中継ぎの温存を考えているのなら、その戦略に沿う采配を、そう感じる昨日の試合ではあった。