閑話休題 横浜が育成に苦戦した理由、同じ方向性を目指した巨人と横浜の違い結果的に横浜が転換に遅れた原因に思う

横浜がモデルとした巨人の野球については前記事を読んでください。

今回は横浜がモデルとしたもう一つの球団、日ハムについて語るつもりでしたが

その前に余計な話が始まってしまったのでイロイロ雑感を。

 

横浜は野球の方向性(細かな野球重視)に関し巨人を参考にしています。

その割に細かな野球を表現しきれなかった事に、その難易度の高さを覚えますが

良く引き合いに出される森監督時代を思い出します。(2000年)

 

横浜には細かな野球は合わない?という風聞もありますが、そんな事はなく石川や憲晴など基本に忠実な野手を横浜も育成できています。

できていますが細かな野球は手段であって目的でなく彼らが試合に出る事でより勝率が上がったか?というと疑問です。

その憲晴に関し私は大ファンでして漸く横浜も遊撃手を育成できたか?っと喜んだ時もありました。

その喜んだ翌年の2015年にあの結果です。

憲晴への処遇に関して未だ晴らせぬ情念のようなものがありますが

 

その技術は素晴らしいですが打てない。(石川は肘の故障の影響が大きかったかもです)

白崎、高城も右打ち、犠打が上手かったですが総合的な打撃性成績が芳しくなかった事で出場機会を失っています。

中井もしっかりとした打撃をしますが巨人では出場機会を失い放出されています。

その中井が横浜では大きな役割を果たしています。

来期、その座は同じく巨人の選手であった田中が負うのかもしれませんが中井のような存在を横浜は育成できていません。

 

2012年、筒香同様、中畑監督に我慢され辛抱強く起用され続けた梶谷(チーム打撃を強く期待されました)が結果を出せず、

翌2013年ファームに落され、そのファームで自身をホームランバッターっと再認識し打撃スタイルを改めた事で2013年夏に大ブレイクしています。

 

bunshun.jp

ホームランバッターである」と再定義した時、梶谷のバッティングフォームは明らかに変質した

このバッティングフォームを2013年ファームで変えた事により梶谷は飛躍しています。

強い打撃にしたわけです。

その延長線上に2020年の復活?(というより故障が癒えた)もあります。

 

中畑監督が我慢して起用したから梶谷は覚醒したと言われますが、そうではなくファームで打撃フォームを見直したからです。

 

当時、ファームは一軍同様の野球を目指し研鑽していましたが大村コーチの影響で選手の自主性を尊重していました。

大村コーチというより高田GMの意向もあったとみる方が妥当でしょうか?

高田GMは育成トップとして指導方針に関し目を通しています。

そして、その大村コーチを梶谷がブレイクした2013年に招聘したのも高田GMです。

 

横浜と縁がなかった大村コーチを2013年に高田GMが招聘したのは勿論理由があるわけで足りないと思っていたんでしょうね。

 

一方で細かな野球が出来る選手の育成も希求感があり強い打撃が積極指導方針になってなかったのは先の記事に書いている通りです。

 

二軍では選手の自主性が許されていました。

これは横浜DeNA時代に一貫してある事です。

同じ方向性を目指した巨人が横浜より早くに育成で停滞を迎えたのも選手の自主性よりコーチの指導(意向)を重視した組織形態にあったと思いますが

 

あれこれアドバイスし過ぎなイメージがあります。

巨人の求める野球を忠実に教え込む感じでしょうか?

その影響もあり同じ野球を志した横浜以上に早めに育成が滞っています。

そして塞翁が馬で転換が早くなり巨人の育成が好転しています。

 

横浜の場合、方向性の転換は選手の自主性であって指導が必要なタイプ(自分が出来てない選手)の育成が横浜で滞ってしまった原因とはみていますが

 

良かれと思った事が、過去、上手く行った事が機能せず、その失敗(成功)が結果的に良い方向(悪い方向)に作用したという事が世のなかにはあります。

 

先の記事で

横浜が育成に苦戦した理由、モデルとした巨人と日ハムが育成に苦戦した事について - 所持雑感

 

「小さくならないように大きく、強く振るようにしている。今年は強く振る」

これが今の育成のトレンド。(というかもう随分前からですが・・・

その転換に一番遅れたのかもしれないのが横浜です。

っと評していますが

結果的に横浜の指導の転換がセでも遅れてしまった原因とみています。