落合監督就任以前と以降の違いについて

なぜ?中日はBクラスに転落したのか?っと2013年中日の総括をしていますが、その中で、

「中日の守りや小技に細かい野球というのはマスコミとネットがつくった幻想ではないでしょうか。」

っと、コメントを頂きましたので、具体的に数字と選手起用方法で、落合野球の実情を確認したいと思います。

2013年総括の番外編です。

結論を先に言いますと、中日は守りや小技に細かい野球をしていました。

以下、解説です。

2013年、中日にとっては2002年から続いた連続Aクラスが途切れた節目の年でもあります。

上記当該期間中、大きくわけますと、落合以前と落合以降があり、その特徴をホーム成績で見ますと、

落合監督が就任する以前の、2002年は20勝33敗、2003年25勝29敗。

就任した2004年が42勝20敗・・・以下2012年までのホーム通算成績383勝210敗 勝率.646っと球史に残るホーム成績を実現しています。

その前後に何があったか確認を行う事で落合野球の目指した方向性について解説したいと思います。

最初にホーム成績が芳しくなった時代のメンバーについて確認したいと思います。

監督は山田氏。

主力投手は、

先発が

川上、朝倉、山本、バンチ、山井、野口・・・

リリーバーに、岩瀬、ギャラード、大塚、平井、落合・・・

野手は福留、荒木、井端、井上、立浪、関川、谷繁、森野・・・

当時、中日投手陣は12球団一と言って良い陣容を誇っており、2002年のチーム防御率は3.19。

2013年と比較し、反発係数が大きいボール使用していた時代にも関わず、今年、チーム防御率、一位だった阪神より良いチーム防御率を達成しています。

いましたが、ホームでの成績は20勝33敗。(ヴィジターで49勝33敗)

驚異的なホーム成績を実現する条件の一つだとは思いますが、単純に投手陣の陣容を揃えてもホームでは勝てなさそうです。

また、当時の打線が、他の球団と比較し悪いかと言われると悪いわけでもなく(チーム得点能力でリーグ3位)、Aクラスにふさわしい成績だったとは思いますが、2004年以降の驚異的なホーム成績が何によって為されたか、実に興味深い数字ではあります。

単純に投手力が戻れば、済む話ではなさそうです。

でわ、2004年以降と以前で何が違うんでしょうか?

まず、大きい所では監督が落合氏に代わった事。

また、ご承知の通り、補強の凍結・・・現有メンバーによる底上げによる優勝を掲げて、2004年シーズンを戦っています。

以下、主なトピックですが、

 アライバ一、二番コンビの採用(二遊間におけるアライバコンビは2001年に結成済み)

 守備を重視した選手起用、象徴的な選手として英智を取りあげたいと思います。

落合監督が就任するまでは、その非力な打力が問題になりレギュラー奪取出来ませんでしたが、その打力に目をつぶり起用されています。

しかも、監督は贅沢にもレフトで英智を起用しています。 (^_^;)

レフト言いますと、守備に目をつむって打撃重視で起用される代表的な守備位置なのですが、その徹底ぶりに驚かされます。

 谷繁への全面委任。

(投手陣は森投手コーチがみており、その意向で谷繁に委任されています)

 セットアッパー岩瀬の抑え起用

結果・・・

2位に7.5ゲーム差を広げての優勝です。

また、上記変更の結果、

盗塁が57(リーグ5位)→95(リーグ1位)

失策が70(リーグ2位)→45(リーグ1位)

犠打が117(リーグ4位)→101(リーグ1位)

っとなっています。

尚、前年より犠打数が減った事に関してですが、

2004年当時、打者優位の時代でして、巨人が歴代最高チーム本塁打259本を記録した歴史的な年でもあります。

チーム打点(719)、長打率(.483)、出塁率(.339)、OPS.822という文字通り暴れまわっていました。

同様に横浜も194本打っており、世は投手受難の時代。

そんな投手受難な時代に中日は12球団唯一のチーム防御率3点台(3.86)、かつ、リーグの失策最小記録を更新しています。

尚、打撃陣はリーグ5位の623。

投手力に関しては前年とほぼ同じメンバーな為、違いを求めるとするならば、守備になると思います。

後は、アライバの一、二番コンビを採用する事で積極的に足を絡めて攻めて来ています。

以上が、2004年からの基本戦略であり、その戦略によって高いホーム勝率を中日は挙げ続けています。

そして、2013年に・・・

コメントに対応して、つい解説をしてしまいましたが、いよいよ本丸に次回、行きたいと思います。