最低でも走者を進める打撃が求められる場面 したい(意識)と出来る(技術)は両輪である

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引用

最低でも走者を進める打撃が求められる場面

 

 

 

 それなら犠打を命じれば良いと思うのですが・・・

 

 

 

 

さて、佐々木の言う場面について解説しましょう。

1点を追うDeNAは、先頭の戸柱、柴田の連打で無死一、二塁のチャンス。俊足の1番神里のヒッティングは同感だったが、最低でも走者を進める打撃が求められる場面で、1ボールからの外角速球を左前へ流し、無死満塁とチャンスを広げた。

結果だけを見ればヒットはいい形だが、アウトになっても一、三塁、もしくは二、三塁とチャンスを広げるためには、引っ張った打球がベストの状況。逆方向への素晴らしい打撃を見せても流れは引き込めず、後続が倒れ無得点に終わった

 

ここで何を求めるかですが

ヒッティングを命じている時点でアウトにならない事を神里は求められています。

そしてアウトになるにしても進塁打を打って欲しい。

打ちたい。

 

そういえばカナロコで左打者に引っ張りを強要したと激しく糾弾された場面を思い出しますが

進塁打を打ちたいと 打てる技術があるは意味が違ってきます。

どうしても進塁打が欲しい時ラミレスの場合バントさせるのですが

そのバントをする技術がないと判断した打者には最低限でも進塁打を要求します。

 

その結果、それすら出来ずがっかりしたのを覚えています。

難しいのはわかっているんですが何もできない。

9回2点差で桑にはバントを命じて追いつき延長になって1点差でバントを命じられない。

試合は敗戦。

技術不足を痛感する試合でした。

2018年の事です。

選手への具体的な不満を言わない監督でしたから分かり難いですが

みているとわかるんですよね。

解説者にはなんでバントをさせないと怒られていましたが。

そりゃ、まぁ9回裏に同じ条件でバントさせて延長ではしないとなると?です。

そこになぜ?が産まれるのですが

 

ランナー1,2塁。

野手に命じてもバントが難しい場面では投手に犠打を命じない事があったラミレス。

野手でも成功率70%切りますが

したいと、出来ないの区分けをする監督でした。

日本の場合、出来ない場合も命じたからおkというドレスコードのようなものがありますが(失敗した選手が悪い

 

スモールベースボールを標榜していた監督が徐々に作戦をやらなくなる。やれなくなる。

フルカウントスタートにおける惨状は何度か記事化している通りです。

 

出来ない野手に命じる不毛さを覚える一方。

出来ない選手に命じない事でただ打つしかできないと感じる。

無抵抗。

ラミレス野球とは出来る事と出来ない事が他の監督以上に分かれていました。

その結果、ただ打つだけに感じてしまうのは何ともでしたが。

その見立ては選手抜擢の確かさで感じます。

 

若手野手の多くが打てる技術がないのは見ての通りです。

ところで最近の風潮でいう意識云々で解決できるなら横浜ではとっくにスモールベースボールが根付いています。(三浦も当事者ですからわかっているとは思います)

一連の記事で書いていると通り横浜は巨人の野球。

スモールベースボールを目指し続けました。

その結果強く振るの打撃が疎かになり後手に回ったと書いていた通りです。

 

 

あれほど意識して指導し続けて結果が今です。

したい(意識)と出来る(技術)は両輪です。

 

 

意識高い系の片輪(したいだけ)では何もできません。

できる技術のある梶谷は自然と意識もありましたが出来ないでは意識があっても表現できません。

 

志の裏付けは、それに相応しい能力(技術)があることで達成されます。

 

力(技術なき)なき正義(意識改革)は無力です。

過去横浜で繰り返されきた掛け声だけの改革。(意識改革)

当事者たちの努力にも関わらず掛け声だけに終わったのは何らか理由があるとみて欲しいのですが

 

リーグ全体をみても意識高い表現ができる野手が少ないです。

昔はたくさんいた記憶があります。

 

巨人式のチーム打撃優先の指導が上手く行かなくなったのとも関係しているかもですが技術難度が上がっていように感じています。

 

理想と現実のギャップで苦しむんでしょうね。

まずは一軍の前に二軍でスモールベースボールを指導して欲しいです。

 

 

山下がファームで走り回っていた時期ありますが(山下に限らず

 

 

その成果が一軍に通じない。

そこに横浜育成の課題が見えます。

横浜DeNAになって10年にわたる走塁面での育成能力の欠如が今の横浜を形作っています。

 

さて、場面に戻ります。

この最低でも打者を進める事が求められる場面とは。

裏を返すとアウトカウントをとっても打者を進められたらダメな場面と解される部分でもあります。

 

最低でも四球を奪えと四球を出すな対決に近いですが

自分たちが求める様式美とも言える作戦は相手にとっては避けるべき内容です。

 

当然、巨人バッテリーは左の神里に進塁打を打たれないように引っ張り難い(進塁打を打たれ難い)ボールをチョイスします。

ケース的に相手は外一辺倒にならざる終えず、その制約下で神里が美味しく打てたと考えられる部分です。

 

逆に相手側にとってはアウトカウントをとっても進塁打を打たれると批判されそうな場面です。

巨人OBの広岡とか怒りそうですね。

 

インコースに相手が投げてきたら引っ張る。

因みに外の速球に対し引っ張りの意識が強すぎると外に変化球などを投じられて併殺打を打ち易いです。

 

互いに駆け引きしています。

最低でもをさせたくない。

 

神里の選択として最低でも進塁打を最上位において打撃をするならカウント悪くなるまで進塁打を打てる球を待つと言うのもありますが

 

カウント悪くしますと当然ながら打てないです。

成績不振に陥る直前の桑に関し

 

aaakkkaaa.hatenablog.com

昨年も2016年に引き続き、ランナー一塁にいるとダメな打者でした。

ランナーが一塁にいますと打率.220。

打率も悪いですがランナーが一塁にいますとIsoP(長打力)が0.150⇒0.061と半減します。

 

2016年、2017年と、もっと打てる可能性を覚えるのですが空回り感あります。 

進塁打を打とうとか考えた?結果、相手バッテリーの術中に嵌ったように感じる時が多かったです。

監督も桑原を何度か2番で試した事がありますが、

その特性を考慮してか一番にしています。(先頭打者初回出塁が活かせない)

 

ロペスや筒香などは一塁にランナーいるとIsoPが跳ね上がります。

そんなケースが多いです

多いですが、桑原の場合、いろいろ考えるとダメな時が多かったように感じています。

中日平田や白崎のようにインコースに課題があると、その成績も理解できるのですが桑原、インコース打つの上手いです。

2016、2017年続けての傾向でした。

上手く説明できないです。 

つなぎの打撃を意識しぎるのかもしれませんね。

(メンタルに課題を覚える打者なので良化する可能性があります

 

ケース打撃を意識し過ぎると桑原のように打てなくなります。

梶谷が覚醒したのもケース打撃の呪縛からの解放が一因でしたが

 

参考記事

aaakkkaaa.hatenablog.com

 

チーム打撃の難易度が環境変化により上がって来ています。

 

そんな桑原は2016,17年をみてメンタルに課題を覚える打者でした。

得点圏で大活躍。

お祭り男でもあった桑原にメンタル面の危惧を覚えるのも不可思議ではありますがケース打撃をみますと不安を覚える打撃をし続けていた桑原です。

 

ケースを利用した打撃になっていませんでした。

 

真面目な選手で忠実に最低でも進塁打を打ちすぎたように感じます。

これが元横浜の村田クラスになると芸術的な4-6-3の併殺打を打ちつつもランナー一塁で打ってくれるのですが(1,2塁間空いているので抜きやすいのも事実)

 

そこまでの対応力がありませんでした。

 

 強く意識し過ぎて打てない感じです。

 

悪い意味で真面目過ぎるのかな。過ぎたと思っています。

最低限の打撃を意識し過ぎると打てない場合が多い打者でした。

ここで引っ張るかもっと思わせられる、もしくは引っ張るとロペスのような成績。

 

ロペスなど進塁打を狙う場面とチャンスを広げる場面を心得ていた打者でした。

相手が進塁打を打たせたくない場面を利用しインの速球系を張って打ちまくっていましたが

 

様式美に拘り過ぎますと桑のように打てなくなります。

それを助長するような事を佐々木は言っています。

カウント悪くしてまで最低限の打撃を要求するなら、それは犠打をするべき場面です。

 

佐々木の求めるような事は様式美ですから当然、神里の頭の中にもあります。

その前提で神里は外の速球を流した。

そりゃ流しますよ、打ちやすいから。

その対応は外の速球に対する教本です。

 

 

別の言い方をするなら梶谷らのように相手のキツイ制約下を利用して打てるような打者に神里もなりつつあるわけです。

教本通りに対応できない打者も多いです。

 

様式美を利用できる技術があるかないか。

その先に神里も達しつつあります。

ここで神里の選択を意識がないなどと過剰に批判しますと打てなくなるかもですが・・・

佐々木が指摘する様式美は一つの見方としてあり得ますし勝利にも結び付く可能性のある手段です。

強くは否定しません。

しませんが

相手も、それがわかっているので対策して来ます。

様式美を追求する、ねばならいが強すぎるとチームを弱くする危惧があります。

 

盗塁失敗を過剰に批判し過ぎると盗塁は増えません。

失敗時のリスクが大きくなるからです。

ラミレスがバッティングカウントでのヒッティングを失敗しても批判しないのも同じ理由です。

アプローチを理由にしたのは宮崎の悪弊を修正する為に苦言を呈した時ぐらいでしょうか?

 

マニアックな攻防になると

aaakkkaaa.hatenablog.com

のような攻防となり、その難しさを覚えます。

倉本が進塁打を打とうと待ってましたとインコースの球を打ちに行きチェンジアップをひっかけて併殺打を打ちましたが

一部捕手は本当に嫌らしくなりました。

捕手はだいたい4年ぐらいかかります。

 

ヤクルト中村は定石を外し過ぎるので大けがを負う時もありますがそういう駆け引き込みで楽しんではいました。

居ましたが

私も野球から離れて来ているのではてさて。

 

昔、書きたかった事を書こうと記事連載し続けていますが

寄り道しています。

 

進塁打を強く求めるなら犠打です。

犠打同様効果的な場面が少ない作戦なのでどうかとは思いますが

 

一点が重い場面で進塁打は意味があります。

それなら犠打でも良いんじゃないの?という話ですが・・・

MLBで減ったと言えど犠打がなくならないように犠打自体は有効な作戦です。

その有効な場面とは?で考えて欲しいのですが

 

神里がヒットを打ちノーアウト満塁。

その場面で点を奪えない事の方が問題です。

アウトカウントを献上してまで進塁打云々言うなら一点をもぎ取る野球をやるべきで。

そういう作戦をベンチがしてなかった時点で推して知るべきです。

 

神里を批判するならノーアウト満塁で点を奪えないベンチの無策も批判すべきと感じます。

片手落ちでしょうか?

因みに私が指摘している事をベンチも理解した上で、あの結果になっています。

わかっていてやっているのは意図、背景があるわけで。(知らんですが事情があったのでしょう)

その場合は

明日は別の日です。

 

参考記事

aaakkkaaa.hatenablog.com